マイ フィッツジェラルド et ヘミングウェイ

このblogでは、僕の大好きなFitzgeraldとHemingwayの間で交わされた書簡の翻訳を載せていきます。
そしていずれは、Fitzgeraldの処女作『the side of paradise』の全訳をするつもりです。
それに必要な20年代のアメリカ社会も追求していくつもりです。

シュルンスから。  1925年12月24日

  親愛なるスコットへ。

 400ドルを君の管理人のところへ送ったよ。その金は、君が持っていてもいいし、ハロルドスターンズにくれてやってもいい。君は素敵な手紙を書く。誰かさんが、私より文章が下手なのは喜ばしいことだ。

 確かに、私はハロルドウェールズを知っているよ。彼はかつては、ゴールドフィンガーのバーテンダーをしていたが、1918年に、どうにかして新聞記者になったんだ。その時は、どんな新聞記者でさえどこかしらで職に就くことができたものだよ。彼は1918年に、オートバイ事故(だったはずだと思う)で破産したんだ、それから、独学でフランス語の読み書きと会話を学んで、くそみたいに立派な新聞記者だ。最初にあった時は私はいけすかない奴だと思ったものの、今では他のどんな新聞記者より好感を持っているよ、まあ、ビル・バードとヒックコックを除いては、だがね。ハンクは和平会議の最中に、驚くほど素晴らしい話を披露してみせ、ある日、ハウス大佐が彼に言った。

「ウェールズ、君はどこでそんな話を手にするんだ?」ハンクはユーゴスラビアの油田を、日本がどこかにあげてしまった。「ハウス大佐」ハンクは言う。

「シカゴ・トリビューン誌の求めている話は事実じゃありません、目新しいことを求めているんですよ」

 でもスコット、どうしてハンクについて尋ねるんだ?彼はまともなマナーも身に付けていないどころか、見た目も振る舞いもひどいものだ。私が彼に強い好感を抱くのは、彼が私のことを好きだからだろう。だから、彼が元はバーテンダーだったみたいな情報は全てここだけの話にしてくれ。彼はまた巧みにサルどもを手なずける。

 君のI.O.T.の評価には、とても楽しませてもらった。私がそれをどのように気に入っているかというと、読み返すことなく、最高だ。(『二つの心臓を持つ大河』『インディアン・キャンプ』『季節外れ』の最初の作である「そして最後の」『戦士の帰るところ』)いや、私はそれらの作品をグループ分けすることはできない。でも、どうして君は『老人』をはずしたのだ?これはいい作だと、私には思える。(そのつもりはなかったのだが、結果としてそうなった)これは、また別のカテゴリーの作品だ。闘牛の話で、50000ドルの値打ちがある。その手のものは、私には書きやすいのだよ。

『雨の中の猫』は、ハドリーについて、ではない。私は、君とゼルダがずっとそう思っていたことは分かっている。私がそれを書いた時、我々はラパロにいたが、ハドリーはバンビ―といて、妊娠4か月だった。

 tuduku

1925年11月30日消印 SFから

  親愛なるアーネストへ

 僕は、先の朝のことを思うと、とても恥ずかしい。君の妻のハドリーに迷惑をかけたことだけでなく、君に別の名の男をつかませたことが。しかしながら、土曜日の朝、君のアパートに侵入した惨めな男は、僕じゃなく、ジョンソンという名前の男で、この男は時たま、僕と見間違をされるんだ。それが一番理に適った見方だろうよ。

 兆候に反して、ゼルダは構ってもらえないことじゃなく、医者の投与するモルヒネだけが緩和できる神経質なヒステリーに苦しんでいた。僕たちはその次の日には、療養のためにベローウッドに行ったよ。

 ちょっとした理由があって、僕は君に下らない嘘を吐いた――いや、嘘というより誇張というべきだな――下らないというのは、事実それ自体は、結局は、僕に歓声を挙げさせただけだったということさ。

 つまりね、サタディ・イブニングポストは僕に3000ドルどころか2750ドルしか支払わなかったのに、それがひと月で75000ドルにまではね上がったんだよ。これはハースト氏のおかげさ。弱小誌は僕に3000ドルしか払わない。ポスト誌はハースト氏も申し出は滅多に受けないものだけれど、たまには受けることもあるんだと分かった。

 実は、マコーモンのエピソードや、僕たちが遅れて参加したイギリスでのパーティについての、歪曲された解釈を、僕は知らないんだ。とりあえず、僕がマコーモンを自業自得の憂き目から救ったこと、それと、僕たちが自由奔放なアメリカの女優のタルラーヘッドやミルフォード・ヘイブン伯爵夫人(間違いなく本人だよ)とロンドンで素敵なパーティで時間を共に過ごしたことは事実だ。ぼくは伯爵夫人には、その時に初めてお目にかかった。彼女は、うーん、半分ほどは王室の人間と言った感じだった。ともかく、彼女は素敵だった。でも、他のこと、僕が僕たち夫妻とウィンザー家との関係を近寄せたなんて話は、全くのでたらめさ。

 僕は今、喜劇小説を読みのにはまっているんだ。君はマクリース・チューズディに行くくつもりがあるかい?ひとまず、僕はハドリーの調子が良いことを祈ってるよ。僕たち夫婦は、心から、アーネスト夫妻の幸福を祈っている。

                                    スコット

1925年7月1日。スペインのブルゲーテより ヘミングフェイから

  親愛なるスコットへ。

 我々は明日、パンプローナへ行くつもりなんだ。ここブルゲーテでは、マス釣りをしていたんだ。君はどうしている?ゼルダは元気かい?

 私は、これまでよりは気分が良い――パリを発ってからは、ワインばかり飲んでいたよ。スペインは本当に素晴らしい国だ。しかし、君は嫌いだったな。よろしい、国について記すのはよそう。私は、君の天国のアイディアは――金持ちの単婚主義者や、あらゆる権力、あるいは死ぬまで酒を飲み続ける、最高の家族たちだけしかいない、美しくも空虚な場所ではないかと思っている。そして地獄は、おそらく、その人たち自身が自ら神秘的な悲しみと読んでいる、酒宴も設けられないほどの慢性の胃炎を抱えた一夫多妻主義者でいっぱいなのだろう。

 私にとっての天国は、私のために2席のバレラシートを確保してある大きな闘牛場と、私だけのマス釣り用の川、それに2軒のの素敵な家のある町だな。片方の家では、妻と我が子が住んでいて、私は一夫一婦主義者となり、誠実に家族を愛するのだ。もう一つの家では、私は9人の愛人を、9つの別々のフロアに住まわせる。本宅では、全てのトイレにダイアル誌のコピーを印刷した柔らかい紙を備え付け、愛人宅のトイレには、アメリカンマーキュリー誌とニューパブリック誌を使ってやる。そうそう、その町には、パンプローナにあるような、素敵な教会があって、私は本宅と愛人宅を行き来する途中で立ち寄って罪を告白できるのだ。そして私は、息子と馬に乗って、ハシエンダ・ハーダリーと名付ける我が牧場を駆け抜け、道路沿いに住む我が私生児たちに、分け隔てなくコインを放ってやる。私はハシエンダで書き上げたものを、我が子に預けて、愛人たちに貞操ベルトを締めさせる。何故なら、ある人が全速力で走ってきて、フィッツジェラルドとかいう悪名高い一夫一婦主義者が、酔いどれ仲間の先頭に立って、私の町にやってくるのを見たという知らせを持ってきたからだ。

 ふん、ところで我々は、明日の朝早くに町へ行くつもりなのだ。スペインのパンプローナにあるクィンターナホテル付けで手紙を書いてくれ。いや、手紙は書きたくないかな。私にしてみれば、手紙を書くのは、仕事をさぼったのに何かやり終えた気分になれる素晴らしい方法なんだがな。

 ではまた。我々夫婦からゼルダに宜しく。                  草々

                                   アーネスト