マイ フィッツジェラルド et ヘミングウェイ

このblogでは、僕の大好きなFitzgeraldとHemingwayの間で交わされた書簡の翻訳を載せていきます。
そしていずれは、Fitzgeraldの処女作『the side of paradise』の全訳をするつもりです。
それに必要な20年代のアメリカ社会も追求していくつもりです。

1925年7月1日。スペインのブルゲーテより ヘミングフェイから

  親愛なるスコットへ。

 我々は明日、パンプローナへ行くつもりなんだ。ここブルゲーテでは、マス釣りをしていたんだ。君はどうしている?ゼルダは元気かい?

 私は、これまでよりは気分が良い――パリを発ってからは、ワインばかり飲んでいたよ。スペインは本当に素晴らしい国だ。しかし、君は嫌いだったな。よろしい、国について記すのはよそう。私は、君の天国のアイディアは――金持ちの単婚主義者や、あらゆる権力、あるいは死ぬまで酒を飲み続ける、最高の家族たちだけしかいない、美しくも空虚な場所ではないかと思っている。そして地獄は、おそらく、その人たち自身が自ら神秘的な悲しみと読んでいる、酒宴も設けられないほどの慢性の胃炎を抱えた一夫多妻主義者でいっぱいなのだろう。

 私にとっての天国は、私のために2席のバレラシートを確保してある大きな闘牛場と、私だけのマス釣り用の川、それに2軒のの素敵な家のある町だな。片方の家では、妻と我が子が住んでいて、私は一夫一婦主義者となり、誠実に家族を愛するのだ。もう一つの家では、私は9人の愛人を、9つの別々のフロアに住まわせる。本宅では、全てのトイレにダイアル誌のコピーを印刷した柔らかい紙を備え付け、愛人宅のトイレには、アメリカンマーキュリー誌とニューパブリック誌を使ってやる。そうそう、その町には、パンプローナにあるような、素敵な教会があって、私は本宅と愛人宅を行き来する途中で立ち寄って罪を告白できるのだ。そして私は、息子と馬に乗って、ハシエンダ・ハーダリーと名付ける我が牧場を駆け抜け、道路沿いに住む我が私生児たちに、分け隔てなくコインを放ってやる。私はハシエンダで書き上げたものを、我が子に預けて、愛人たちに貞操ベルトを締めさせる。何故なら、ある人が全速力で走ってきて、フィッツジェラルドとかいう悪名高い一夫一婦主義者が、酔いどれ仲間の先頭に立って、私の町にやってくるのを見たという知らせを持ってきたからだ。

 ふん、ところで我々は、明日の朝早くに町へ行くつもりなのだ。スペインのパンプローナにあるクィンターナホテル付けで手紙を書いてくれ。いや、手紙は書きたくないかな。私にしてみれば、手紙を書くのは、仕事をさぼったのに何かやり終えた気分になれる素晴らしい方法なんだがな。

 ではまた。我々夫婦からゼルダに宜しく。                  草々

                                   アーネスト